岐阜県と大野
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/13 10:14 UTC 版)
詳細は「鉄道と政治#中山道ルートと岐阜羽島駅(東海道新幹線)」を参照 地元岐阜県に東海道新幹線岐阜羽島駅を誘致したとされ、政治駅と騒がれた。駅前には大野夫妻の銅像が立つ。 産経新聞の『戦後史開封』によると、岐阜県は岐阜市または大垣市への新幹線駅設置を要望するが、両市付近の地盤は弱く、また路線を大幅に迂回させなくてはならないために建設予算や名古屋駅以西の所要時間が増える関係上、日本国有鉄道(国鉄)は難色を示した。これに地元は激しく反発し、一時国鉄は岐阜県内での測量ができない状態になった。そこで国鉄が大野に斡旋を依頼し、結局、新幹線路線を迂回させることの無い岐阜羽島駅の設置となった。これは大野自身が地元の利権に絡んで国鉄に圧力をかけたわけではなく、むしろ地元の利益よりも新幹線の速達性を優先した結果であった。岐阜羽島駅が今日、政治利権の権化とされるのは、地元の利益の代弁を装い、地元の利益誘導をでっちあげたことに由来する。なお、国鉄樽見線(現・樽見鉄道樽見線)の建設にも関与している。 「海なし県」の岐阜県を海に直結する「中部横断運河」計画の強力な推進者であった。 国道293号の国道指定に尽力したため、この道の栃木 - 茨城県境の峠は「伴睦峠」と名付けられている。 向田邦子が岐阜の味噌カツについて語ったエッセイの書き出しで、「東海道新幹線で岐阜羽島駅をおりると、嫌でも駅前広場の某政治家夫妻の銅像が目に入ってくる」という一文がある。
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