山本恵朗とは? わかりやすく解説

山本惠朗

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/11 03:33 UTC 版)

やまもと よしろう
山本 惠朗
生誕 (1936-03-08) 1936年3月8日(87歳)
日本長野県塩尻市
国籍 日本
出身校 東京大学経済学部
職業 実業家
肩書き 富士銀行頭取
前任者 橋本徹
後任者 齋藤宏
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山本 惠朗(やまもと よしろう、1936年(昭和11年)3月8日 - )は、日本の実業家みずほフィナンシャルグループ名誉顧問。元富士銀行代表取締役頭取で、元みずほホールディングス代表取締役会長兼Co-CEO。長野県塩尻市出身。

来歴・人物

企画畑などを経て、1986年から二年間、シカゴのヘラーインターナショナルコーポレーション(富士銀行が1984年に買収した米国の金融会社、後にGEキャピタルに売却)に副社長として出向。

第一勧業銀行会長兼頭取の杉田力之日本興業銀行頭取の西村正雄とともに、みずほフィナンシャルグループ発足を率いた。

退任直後である2002年4月に発生した大規模なシステム障害の責任を問われ、退職慰労金の支払いは見送られていたが、みずほFGが公的資金の返済を終えたことから、退任から5年後の2007年、山本、杉田、そして西村の遺族に慰労金は支払われた[1]

略歴

  • 1959年(昭和34年) - 東京大学経済学部卒、富士銀行入行
  • 1974年(昭和49年) - 丸の内支店次長[2]
  • 1977年(昭和52年) - 企画部長代理
  • 1980年(昭和55年) - 営業第二部次長
  • 1982年(昭和57年) - 資金証券部副部長
  • 1985年(昭和60年) - 国際企画部参事役
  • 1986年(昭和61年) - ヘラー・インター ナショナル・コーポレーション出向、同社副社長
  • 1987年(昭和62年) - 取締役 ヘラー・インターナショナル・コーポレーション副社長
  • 1988年(昭和63年) - 同取締役本店営業第一部長
  • 1989年(平成元年) - 同常務取締役
  • 1991年(平成3年) - 同副頭取
  • 1996年(平成8年)6月27日 - 橋本徹の会長就任に伴い、富士銀行頭取に就任する[3]
  • 2000年(平成12年) - みずほホールディングス会長
  • 2001年(平成13年) - 全国銀行協会会長
  • 2002年(平成14年) - クレディセゾン取締役
  • 2011年(平成23年) - 同監査役

脚注

出典


先代
橋本徹
富士銀行(のちのみずほコーポレート銀行頭取
第9代:1996年 - 2002年
次代
齋藤宏
先代
西川善文
全国銀行協会会長
2001年度
次代
寺西正司




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