山岡俊介との確執
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/14 06:21 UTC 版)
「東京アウトローズ」の記事における「山岡俊介との確執」の解説
ジャーナリスト宅盗聴事件の原因となった武富士に内部資料を1億円で買い取らせようとした恐喝未遂事件(別名武富士スキャンダル)で、大塚万吉こと趙万吉は逮捕されて懲役1年8か月の実刑判決が確定したが、山岡俊介は2004年4月7日に武富士との間で示談を成立させて多額の示談金を得ていた。そして、山岡俊介はその示談金は合法的な金員であると主張したことから、奥村順一は「我慢の限界」を超えたとして、「警察権力と癒着し、事件屋・大塚万吉こと趙万吉らと結託するアクセスジャーナル山岡俊介を徹底糾弾せよ!!」と公に標榜した。その後、奥村順一も山岡俊介もお互いに糾弾報道を開始した。2017年7月から12月までの間、そのような13年以上の永きに亘る確執を見るに見かねた週刊報道サイト主筆佐藤昇が、「東京アウトローズとアクセスジャーナルと週刊報道サイトの三者が力を一つに合わせ、報道の力で、驕る権力者達から本来の主権者である日本国民に天下を獲り戻せるように、報道の原点である権力の監視の使命を三者で共に果たすことはできないのですか!?」と何度も提案したが、奥村順一も山岡俊介もお互いのどちらかが死ぬまで糾弾報道を続けると述べて、佐藤昇からの提案は一蹴された。2019年10月15日、奥村順一は肺がんを患ったことにより報道活動継続が困難となり、東京アウトローズがアクセス不能となったことで、山岡俊介との確執は終息に向かうと思われている。2021年5月15日、奥村順一が死去した。享年63歳だった。。2021年12月9日、奥村順一を偲ぶ会が行われた。
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