尾崎人形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/21 23:07 UTC 版)
尾崎焼では器以外に、鳥や人間などをかたどった土人形が制作されており、現在ではこの尾崎人形が尾崎焼の伝統を唯一引き継ぐ形になっている。この人形の歴史は古く、弘安の役で捕虜となったモンゴル兵が地元の人に病気を手厚く看護してもらったお礼に教えたものであると伝えられている。後述のように鳩笛が有名だが、これは日本に残った兵士が故郷を思って吹き鳴らし、少しかしげた首も望郷の表れと伝えられる。 人形師であった伊東征隆が福岡の柳川に転居したため、地元佐賀県では廃絶した。だが平成2年(1990年)に八谷至大が「尾崎焼保存会」を結成。八谷は2009年に死去し、現在は高柳政広が人形制作を続けている。この尾崎焼は福岡の赤坂人形の流れを汲む。また、赤坂人形と同様に鳩笛が有名で、鳴き声から「テテップー」という愛称がある。他には軍配持ち、堂内天神、饅頭割小僧などのユニークなモチーフがある。
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