尼公(あまぎみ)の巻
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/16 15:39 UTC 版)
寸法 31.7cm×1424.1cm 命蓮の生国である信濃国から姉の尼公が、はるばる信貴山まで命蓮を訪ねてやって来る。東大寺の大仏前で祈りかつまどろむ尼公のさまを描いた部分が、異時同図法を用いた圧巻として知られる。 (詞書の大意)信濃国には命蓮の姉の尼公がいた。弟は奈良の東大寺で受戒すると言って出て行ったきり、戻ってこない。一目会いたいものよと思った尼公は、奈良をめざして旅に出た。興福寺や東大寺のあたりで、道行く人に命蓮の消息を尋ねるが、もう20年も前のこととて、知っている人もない。弟の様子さえわからずに帰る気になれない尼公は、東大寺大仏の前で「なんとかして弟の法師の居所がわからないものか」と一夜祈り続けた。うとうとした尼公の夢に「未申(南西)の方に紫の雲のたなびく山がある。そこを訪ねてみよ」という声が聞こえた。目が覚めて、南西の方をみると、紫の雲のたなびく山がはるかに霞んで見えるではないか。うれしくなった尼公はその方角へ歩き出した。信貴山に着くと、たしかにそれらしき堂がある。「ここに命蓮はおるか」と声をかける。堂から命蓮が顔を出すと、そこにいるのはわが姉の尼公。「どうしてここを尋ねあてたのか」と問う命蓮に、尼公はみやげに持ってきた衲(だい)という衣料を渡す。太い糸で丈夫に縫った衣料である。今まで紙衣一枚で寒い思いをしていた命蓮は、喜んでこの衲を着た。姉の尼公も信濃へは帰らず、命蓮とともに仏に仕える生活を送ったのである。 件の衲は、命蓮がずっと着ていたためにぼろぼろになって、倉に納められていた。人々はその衲の切れ端を争って求め、お守りにしたのだった。さきほどの空飛ぶ倉を人呼んで「飛倉」という。飛倉も時が経って朽ちてしまったが、朽ちた倉の木片をお守りにしたり、毘沙門天の像を刻んで念持仏にした人は皆、金持ちになったという。朝夕参詣者でにぎわう信貴山の毘沙門天は、この命蓮聖が修行して感得した仏であった。 尼公が東大寺大仏前で祈り、まどろみ、信貴山へ向かうまでを異時同図法で表す。創建時の大仏と大仏殿の貴重な画像。 命蓮と尼公の再会
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