小能登呂村とは? わかりやすく解説

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小能登呂村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/04 14:27 UTC 版)

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このとろむら
小能登呂村
廃止日 1949年6月1日
廃止理由 国家行政組織法施行
廃止時点のデータ
日本
地方 樺太地方
都道府県 樺太庁 真岡支庁
真岡郡
総人口 3,136
1941年12月1日
隣接自治体 真岡郡野田町蘭泊村清水村
豊栄郡落合町
小能登呂村役場
所在地 樺太庁真岡郡小能登呂村下能登呂
座標 北緯47度18分47秒 東経142度1分24秒 / 北緯47.31306度 東経142.02333度 / 47.31306; 142.02333座標: 北緯47度18分47秒 東経142度1分24秒 / 北緯47.31306度 東経142.02333度 / 47.31306; 142.02333
特記事項 1943年4月1日以降は北海地方に所属。
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現在の小能登呂岬

小能登呂村(このとろむら)は、日本の領有下において樺太に存在した指定町村)。

小能登呂という地名は、アイヌ語の「ノツ・オロ」(岬の所)による[1]

なお、ロシア連邦側では同地周辺をコストロムスコエ(ru:Костромское_(Сахалинская_область))と称している。

概要

間宮海峡に面していた。村名の由来は小能登呂岬による。

古くは漁村であったが、主に高知県出身者の移住により大規模な農業経営が行われるようになった。交通機関としては樺太西線の駅が存在した。

歴史

村内の地名

大字「上能登呂」

  • 上能登呂(かみのとろ)

大字「下能登呂」

  • 下能登呂(しものとろ)

大字「仁多須」

  • 仁多須(にだす)
  • 仁多須澤
  • 藻明(もあけ)

大字「登富津」

  • 富原(とみはら)
  • 登富津(とふつ)
  • 登富津澤
  • 飛岸(とびきし)

[3] [4]

地域

教育

以下の学校一覧は1945年(昭和20年)4月1日現在のもの[5]

  • 樺太公立小能登呂第一国民学校
  • 樺太公立小能登呂第二国民学校
    • 富原分教場
  • 樺太公立小能登呂第三国民学校
  • 樺太公立登富津国民学校
  • 樺太公立仁多須国民学校

脚注

  1. ^ 南樺太:概要・地名解・史実 p.335
  2. ^ 『樺太・小能登呂村の沿革史』高知小野登呂会、1992年5月20日。
  3. ^ 『樺太・小能登呂村の沿革史』高知小野登呂会、1992年5月20日。
  4. ^ 南樺太:概要・地名解・史実(西村いわお・著、高速印刷センター内出版部 1994年)より。
  5. ^ 北海道立教育研究所『北海道教育史 地方編2』(1957年)p. 1684

関連項目




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