小栗忠順と中小坂鉄山とは? わかりやすく解説

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小栗忠順と中小坂鉄山

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/14 13:46 UTC 版)

中小坂鉄山」の記事における「小栗忠順と中小坂鉄山」の解説

万延元年遣米使節目付として渡米した小栗忠順は、ワシントン海軍工廠などの見学通じて日本鉱工業興す必要性痛感した小栗進言によって慶応元年1865年横須賀造船所建設開始され横須賀造船所用い供給元として中小坂鉄山注目されることになった慶応元年1865年5月小栗忠順らは中小坂鉄山開発溶鉱炉建設を行うよう建議行った建議の中で小栗らは、まず当時の情勢軍備増強望まれている状況であり、そのため鉄山開発する重要性高まっており、小幡藩領内中小坂には良質な鉄鉱石大量に存在し、また小幡藩主も幕府高炉建設賛成していることを述べていた。建議結果慶応元年1865年)閏5月には中小坂鉄山溶鉱炉建設するための見分武田斐三郎らによって実施された。見分結果中小坂鉄山鉄鉱石埋蔵量が豊富である上に品位極めて高いため、中小坂溶鉱炉建設することとしたいが、近く採掘される石炭十分な供給量が見込めないため、当面木炭使用する方針であること。予算都合でまず半鉱炉1基を建造することが望ましいとの報告なされた慶応元年10月12日1865年11月29日)、幕府中小坂鉄山領主である小幡藩に対して中小坂鉄山溶鉱炉建設するよう通達出され同年中に陸軍奉行から勘定奉行対し中小坂鉄山の半鉱炉で使用するための炭を確保するため、御用使用について相談なされている。続く慶応2年1866年)には溶鉱炉建設のための水運についても調査が行われたが、慶応3年10月14日1867年11月9日)には大政奉還が行われ、江戸幕府の手による中小坂鉱山溶鉱炉建設日の目を見ることはなかった。

※この「小栗忠順と中小坂鉄山」の解説は、「中小坂鉄山」の解説の一部です。
「小栗忠順と中小坂鉄山」を含む「中小坂鉄山」の記事については、「中小坂鉄山」の概要を参照ください。

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