小林『パール真論』での批判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/30 09:56 UTC 版)
「パール判決論争」の記事における「小林『パール真論』での批判」の解説
2008年6月23日、小林は連載と書き下ろしから成る『ゴー宣SPECIAL「パール真論」』を発売した。新章で新たに行われた中島批判を以下に示す。 15章「パールは反共主義者だったのか?」では、中島は「法律家としての中立性を強調したパールであったが、共産主義に対しては、一貫して厳しい立場を堅持した」など、パールが判決に反共主義を持ち込んだとしたが、小林は「かような感情が正当なものかどうかは、本官の論ずべきことではない。(共同研究パル判決書上504)」と続く部分を挙げ、パールはイデオロギーで共産主義を批判したのではないとし、中島の解釈は家永三郎の丸写しであり、中島は「偽装保守」と批判した。 16章「パールは南京事件をどう見たのか?」では、パールが南京事件に懐疑的であることを挙げ、それが事実認定されたのは、弁護側が南京事件の事実関係を争っていなかったためと主張。さらに証拠不十分である被告を死刑にした東京裁判・判決への反対意見書がパール判決書であり「東京裁判の意義をパールが認めた」とする解釈は成り立たないとした。 20章では、昭和27年4月の『日本無罪論ー真理の裁き』重版にあるパールの手紙の二通目を掲載。「”Japan Not Guilty"」というタイトルに、パールは何の批判も行わず、判決全文が日本国民に読まれる事を要望し「私の判決文の英語原文が外部の国々に読まれて、日本に対する戦時宣伝の有害な効果が完全に圧服されんことを望んでおります。」と結ぶ手紙を書いていた事を提示し、日本無罪論がミスリードとする主張は無効であるとした。
※この「小林『パール真論』での批判」の解説は、「パール判決論争」の解説の一部です。
「小林『パール真論』での批判」を含む「パール判決論争」の記事については、「パール判決論争」の概要を参照ください。
- 小林『パール真論』での批判のページへのリンク