小團次襲名から江戸下りとは? わかりやすく解説

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小團次襲名から江戸下り

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/08 09:27 UTC 版)

市川小團次 (4代目)」の記事における「小團次襲名から江戸下り」の解説

1843年天保14年)、おりから天保の改革のあおりで江戸所払いとなった師匠幡谷重蔵七代目市川團十郎)が来坂、その庇護を受け、1844年弘化元年)春頃、大坂角の芝居四代目市川小團次襲名する。『けいせい石川染』の奴矢田平の立ちまわり大好評となり、このとき共演した五代目市川團蔵からも賞賛を受ける。こうして人気実力をつけた小團次は、満を持して1847年弘化4年江戸下り大坂じこみのケレン舞踊人気集める。 1851年嘉永4年正月、『石川五右衛門』の葛篭抜け宙乗り8月の『東山櫻荘子佐倉義民伝)』の佐倉宗吾八代目市川團十郎組んだ1853年嘉永6年3月)の『与話情浮名横櫛』(切られ与三)での観音久次など、次々と当たり役出していった。 小柄口跡悪く、「鬼瓦」と揶揄されるほど風采の上がらない容貌だったが、天性運動神経負けん気、そして研究熱心さなどを武器に、努力工夫怠らず着々と実績積み八代目團十郎死後師匠筋の市川宗家後見人として、九代目市川團十郎初代河原崎権十郎だった頃の指南役をつとめるなど、名実とも江戸代表する役者となった

※この「小團次襲名から江戸下り」の解説は、「市川小團次 (4代目)」の解説の一部です。
「小團次襲名から江戸下り」を含む「市川小團次 (4代目)」の記事については、「市川小團次 (4代目)」の概要を参照ください。

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