小原時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/30 02:24 UTC 版)
1917年4月27日に小原十三司が四代目牧師に就任する。1917年東洋ホーリネス教会の設立と共に、福音伝道館から正式に教会になった。1919年に、淀橋教会での早天祈祷会がきっかけになり、大正のホーリネス・リバイバルが起こる。1924年会堂の増築をして、2月10日より14日まで落成式と兼ねた記念聖会が行われ、中田重治監督が説教をした。 1933年に ホーリネス分裂事件が起こり、淀橋教会は委員側になる。1935年に大外側を改築する。1936年に和協分離によって解決する。淀橋教会は正式に日本聖教会の所属になる。一方、中田重治側は聖書学院内に柏木教会を設立する。1941年に、日本基督教団が設立され、日本基督教団第六部の所属になる。 1942年、ホーリネス弾圧事件により、小原十三司が投獄される。1943年に政府よりホーリネス系の教会に解散命令が出て、淀橋教会は閉鎖される。1945年にはアメリカ軍の空襲で教会堂が消失する。 戦後、小原が淀橋教会再建する。教会は新宿区百人町に移転される。1949年に、車田秋次、山崎亭治らが東洋宣教会の提案により、日本ホーリネス教団を設立した。それに対して小原十三司、一宮政吉らが指導者になり、日本基督教団にとどまり、ホーリネスの群を形成する。小原は中央委員長、東京聖書学校校長として尽力し、淀橋教会は小原の指導によりその中心的な教会になる。
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