対露仏同盟
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 17:57 UTC 版)
日本にとって、当時世界一の超大国であったロシア帝国の脅威は国家存亡の問題であった。それは、日本側は日清戦争勝利による中国大陸への影響力の増加、ロシア帝国側は外交政策による三国干渉後の旅順及び大連租借権、満州鉄道利権の獲得により顕著となり、両国の世論も開戦の機運を高めていった。 しかし、日清戦争に勝利し、わずかばかりの植民地を得たに過ぎない新興国の日本の勝算は非常に低く、さらに軍備拡大のための資金調達に苦労していた。日英同盟はこの状況に少なからず日本にとって良い影響を与えることになる。 当時のロシア帝国は対ドイツ政策としてフランス共和国と同盟関係(露仏同盟)になっていた。日露開戦となると、当然軍事同盟である露仏同盟が発動し、日本は対露・対仏戦となってしまう危険性を孕んでいた。以上の状況に牽制として結ばれた日英同盟は、1対1の戦争の場合は中立を、1対複数の場合に参戦を義務づけるという特殊な条約であった(これは戦況の拡大を抑止する効果だと思われる)。この結果、日英同盟は露仏同盟にとって強力な抑止力となり、上記の条約内容からフランスは対日戦に踏み込むことができなくなったばかりか、軍事・非軍事を問わず対露協力ができなくなった。
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