対牛楼の仇討ち
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 23:36 UTC 版)
荒芽山から武蔵国に逃れた小文吾は、宿を貸した旅人を襲っていた盗賊の並四郎を返り討ちにする。並四郎の妻・船虫は小文吾に謝礼として尺八(実は領主である千葉家の重宝であった名笛・嵐山)を渡したが、これは罠であった。船虫は石浜城主・千葉家の眼代に小文吾を盗人として突き出すが、尺八をいぶかしんだ小文吾がひそかに返していたために罠は不発に終わる。小文吾は千葉家の家老・馬加大記に引き合わされるが、実は大記こそがかつて船虫夫婦に嵐山を盗ませた黒幕であった。大記は小文吾の才覚を見抜き、自らの主家への謀反に加担するよう持ちかけるが断られる。小文吾は警戒した大記によって城内に軟禁される。抑留はそのまま1年近く続いたが、その間に小文吾は老僕の口から、かつて大記が千葉家の重臣粟飯原胤度を排除して権力を掌握するために行った策謀の話を聞く。寛正6年(1465年)、大記は同僚の籠山逸東太に胤度を殺させ、逸東太も千葉家にいられないよう仕向けた上、粟飯原一族を子女に至るまで皆殺しにしたのであった。 石浜城下に女田楽師が連れ立って訪れたが、そのうちの一人である美貌の旦開野(あさけの)を大記は留め置いた。旦開野は大記が小文吾に送り込んだ暗殺者を仕留めて小文吾と語らい、いずれは夫婦となる約束を交わす。実は旦開野は男であり、粟飯原胤度の遺児・犬坂毛野であった。文明11年(1479年)5月、毛野は仇と狙う馬加大記を対牛楼で討ち果たす。正体を明かした毛野と小文吾は混乱に乗じて城を脱出するが、2人は川を渡ろうと試みるうちに離れ離れとなる。
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