対ドイツ騎士団戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/13 15:55 UTC 版)
「ヴワディスワフ2世 (ポーランド王)」の記事における「対ドイツ騎士団戦」の解説
1404年5月2日のラツオーシの和約(英語版)で戦争は終結した。ヴワディスワフ2世はジェマイティアの譲渡に正式に同意し、ドイツ騎士団の対プスコフ計画に賛同した。その見返りとして、ドイツ騎士団総長コンラート・フォン・ユンギンゲン(ドイツ語版)は、係争の地であるドブジン地方と以前にヴワディスワフ・オポルスキが騎士団に抵当に入れたズロトリア市をポーランドに売却し、ヴィータウタスには彼が再度計画するノヴゴロド征服の支援を約束した。双方とも条約に調印したのには以下の点で現実的な理由があった。即ち、ドイツ騎士団は上記の新たに獲得した土地を磐石にするための、ポーランド=リトアニアは東方並びにシロンスクに対する領域的な挑戦のための時間がそれぞれ必要だったのである。 同1404年にヴワディスワフ2世はヴロツワフでボヘミア国王ヴァーツラフ4世と会談し、ヴァーツラフ4世から神聖ローマ帝国内における権力闘争の支持の見返りとしてシロンスクを返却する申し出を受けた。西方における新たなる軍事活動が重荷となることを望まないヴワディスワフ2世、はポーランドとシロンスク双方の貴族の調停の取り直しに着手した。
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