寧城県とは? わかりやすく解説

寧城県

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/17 14:10 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
中華人民共和国 内モンゴル自治区
寧城県
大城子鎮郊外の様子
簡体字 宁城
繁体字 寧城
拼音 Níngchéng
カタカナ転写 ニンチョン
モンゴル語キリル文字 Нинчэн
モンゴル語ローマ字転写 Ninchen
国家 中華人民共和国
自治区 内モンゴル
地級市 赤峰市
行政級別
面積
総面積 4,305 km²
人口
総人口(2004) 60 万人
経済
電話番号 0476
郵便番号 024200
行政区画代碼 150429
公式ウェブサイト http://www.cfnc.gov.cn/

寧城県(ねいじょう-けん)は中華人民共和国内モンゴル自治区赤峰市に位置する

歴史

契丹文化の発祥の地の一つであり、史書には「紫蒙之野」として現れている。

寧城県の大明鎮・天義鎮鉄匠営子は、陪都の中京大定府の所在地である。1006年西遼河の支流の老哈河の沖積平野上にあるこの地に中京が定められた。都の北には七金山(現在の九頭山)が、西には馬盂山があり、南は老哈河に面する地勢であった。『遼史』地理志・巻三十九には、「中京大定府……有七金山、馬盂山、双山、松山、土河……」との記述がある。中京は1122年の軍隊に占領された。

金の海陵王(完顔迪古乃)は1153年天徳5年)に中都(現在の北京)に遷都したが、この際にもとの遼の中京を陪都・北京大定府としている。

の初期、北京大定府は北京総管府と改められたが、1288年に武平路と改められた。の初期には大寧都指揮使司が、1387年洪武20年)に大寧衛が置かれたが、1403年永楽元年)に衛が撤収されモンゴルのホルチン部(科爾沁)などとの雑居地になった。

県内にある遼中京遺跡は1961年全国重点文物保護単位に指定されている。

行政区画

13バルガス(鎮)、2郷を管轄:

  • バルガス():天義鎮、小城子鎮、大城子鎮、バルハン・バルガス(八里罕鎮)、ホルホグ・バルガス(黒里河鎮)、右北平鎮、イフ・コス・ソム・バルガス(大双廟鎮)、汐子鎮、大明鎮、忙農鎮、五化鎮、三座店鎮、必斯営子鎮
  • :イフ・ジョン郷(一肯中郷)、セングン郷(存金溝郷)

外部リンク





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「寧城県」の関連用語

寧城県のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



寧城県のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの寧城県 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS