北元からの防御に当たる
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/18 13:43 UTC 版)
洪武5年(1372年)、北元と断頭山(山西省陽高県南東)で戦い、敗戦する。 洪武6年(1373年)、徐達を征虜大将軍とする北伐軍に副将の一人として参加、山西、北平の防御に当たった。 洪武8年(1375年)、鄧愈と共に、北平、陝西、河南の守備に当たる。 洪武9年(1376年)、湯和は傅友徳らと共に延安の守備に当たる。 洪武11年(1378年)、信国公に封じられた。 洪武14年(1381年)、北元のブハが攻め入るが、徐達を征虜大将軍とした副将として、灰山(内モンゴル自治区寧城県南東)で撃退する。 ただし、北元は依然として勢力を保ち続け、甘粛、雲南、東北地区(満州)を支配していた。これらを平定するのは湯和の隠居後(及び死後)となる。
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