富士家の家督争いとは? わかりやすく解説

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富士家の家督争い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/19 20:21 UTC 版)

富士忠時」の記事における「富士家の家督争い」の解説

寛正年間から文正年間にかけて富士家では家督争い発生した。これは忠時とその父である富士祐本との間で起こった確執から由来し、この動向が『親元日記寛正6年1465年7月朔日条に記されている。 祐本は子息の忠時ではなく孫の宮若丸(富士親時)への家督相続望んだため(悔返)、これに対し忠時は反発した。これらの争いは祐本による幕府への注進状今川氏を介して将軍足利義政にも伝わり義政は祐本の主張認定した。それを見た祐本は、この一連の取次行った幕府政所頭人伊勢貞親対し礼として礼銭納めている。 一方忠時は堀越公方足利政知働きかけ行い、政知は義政へと報告行った結果忠時は宥免されることとなった。しかしこの決定に祐本は強く反発したため、義政文正元年1466年10月11日の政知宛の御内書で祐本の行い非難し、また宮若丸へ富士大宮司職を移行するよう改め伝えている。これにより、お家騒動の一応の終着迎えた。 この富士家の家督争いの存在が、当時今川義忠幕府関東出陣命令呼応できなかった一因であった可能性指摘されている。

※この「富士家の家督争い」の解説は、「富士忠時」の解説の一部です。
「富士家の家督争い」を含む「富士忠時」の記事については、「富士忠時」の概要を参照ください。

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