宮城県警鑑定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 04:44 UTC 版)
遠藤は、取調べにおいて「タイヤから人血が検出された」と聞かされて自白している(上記参照)。岩沼署での取調立会警官も、1975年12月23日午後の取調べ中に、県警本部鑑識課からの電話連絡によって、人血反応が得られたとの情報を得た、と公判で述べている。また、鑑定を実施した鑑識課技官らも同様に、右後輪のシミ (1) を23日午後に沈降反応重層法で検査し、陽性の人血反応を得て、その結果を岩沼署へ電話連絡した、と証言している。 しかしこれらの証言は、弁護側から下記の船尾鑑定が提出されてから主張されるようになったもので、その詳細な鑑定データも保存・提出されていない。このため弁護側は、宮城県警による鑑定結果は、遠藤から自白を引き出すための虚偽であると主張した。
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