宮城第一病院
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/24 07:39 UTC 版)
「東北医科薬科大学病院」の記事における「宮城第一病院」の解説
1946年(昭和21年)、名掛丁120番地にて40年以上続いた医院を受け継ぎ、宮城県社会保険協会が、病床数15床の内科医院「宮城第一病院」を開設した。当時は戦後占領期にあたり、当院が開設された宮城野橋(X橋)周辺は進駐軍のGIたちの歓楽街だった。 1950年(昭和25年)に「健康保険宮城第一病院」(36床)に改称。さらに同地で敷地を拡大し、1965年(昭和40年)には「社会保険宮城第一総合病院」(275床)に改称した。なお、敷地拡張により、1952年(昭和27年)に西口側地下から東口側地上に移設された国鉄(現・JR東日本)仙石線・仙台駅と接することになった。因みに、藤村の居住していた三浦屋の2階は、同院の2階、眼科診療室辺りとされる。
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