実力を証明する - 安田記念制覇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 07:41 UTC 版)
「ギャロップダイナ」の記事における「実力を証明する - 安田記念制覇」の解説
天皇賞のあと、ギャロップダイナはジャパンカップ、有馬記念と進んだが、いずれもシンボリルドルフの7、5着と敗れ、「天皇賞はまぐれ勝ちだった」との見方も出た。その後、陣営はギャロップダイナの1986年の予定について「中距離路線を進ませる」と明言。2月に出走した東京新聞杯では、柴崎勇を鞍上に59キログラムの斤量を背負いながら、当時としては非常に優秀な34秒4という上がりタイムを計時し、トウショウペガサスに半馬身差で勝利。同馬に騎乗した柴田政人が「さすがに天皇賞馬は強い」と舌を巻く内容であった。続く京王杯スプリングカップでは不良馬場のなか後方待機から伸びきれず4着となり、5月11日、春のマイル王決定戦・安田記念に臨んだ。 1984年のGI格付後、過去2回の安田記念競走ではハッピープログレス、ニホンピロウイナーという確固たる中心馬が存在したが、当年はそうした存在がおらず混戦模様を呈していた。そうしたなかでギャロップダイナはオッズ2.8倍の1番人気に支持される。レースでは後方待機から、最後の直線残り200メートル付近で逃げ粘るホリノカチドキを一気にかわし、同馬に1馬身4分の3差で優勝。GI競走2勝目を挙げた。柴崎にとっては初のGI制覇であった。柴崎によれば、このときのギャロップダイナは京王杯の疲れが残った状態であったといい、ゴール前で「強い馬だ」と感嘆したと述懐している。また馬の変化について、かつてあった腰の弱さが解消され、踏み込みが力強くなっていたともした。
※この「実力を証明する - 安田記念制覇」の解説は、「ギャロップダイナ」の解説の一部です。
「実力を証明する - 安田記念制覇」を含む「ギャロップダイナ」の記事については、「ギャロップダイナ」の概要を参照ください。
- 実力を証明する - 安田記念制覇のページへのリンク