宝田寮
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/17 22:58 UTC 版)
徳島県阿南市宝田町(現・阿南市羽ノ浦町中庄)にある宝田寮という孤児院とも交流があった。宝田寮の子供たちからは「飛行機のおねえさん」と呼ばれ慕われた。 1962年、東京の福祉新聞の久保専務が徳島をたずねた際、ホタルの美しさに驚き、東京の子供に見せたら喜ぶだろうと語った。宝田寮の子供たちはホタルを捕まえ、7月3日、東京のいくつかの養護施設に届けられた。このときホタルの輸送に関わった麻畠は宝田寮の子供たちと仲良くなる。このホタル贈呈は2年間続いた。 1964年8月、本村忠弘(17才)、大溝陽子(10才)ほか10人の孤児が東京見物に招待される。陽子の手には麻畠の遺影があった。 麻畠の死後、子供たちは「麻畠との絆を形に残したい」と寮長に相談。約33万円を募金で集め、1966年12月、「ほたるの塔」が完成する。高さ6mのポールの先端に水銀灯が設置されたもので、宝田寮の敷地内に設置されている。2012年、宝田寮の建物は改築されたが、ホタルの塔はそのまま残された。 その後、大阪府豊中市の大学職員・小林幸也はホタルの塔の存在を知る。2016年9月、詳しい経緯を知りたいと宝田寮を訪問。「もう一度絆を取り戻してあげたい」と一念発起、日東航空の後身・ジェイエアに交流事業を提案したところ快諾を得る。2017年3月、ジェイエアは子供たちを大阪空港に招待し、空港見学などを行った。同年12月には阿南市津乃峰町長浜の阿南市B&G海洋センター体育館で一緒に紙飛行機を作った。
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