宋果とは? わかりやすく解説

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宋果Song Guo

ソウカ
ソウクワ

(?~?)
幷州刺史

字は仲乙(あるいは仲文)。扶風郡の人《後漢書郭太伝》。

軽はずみ荒々しい性質で、他人のために復讐してやるのが好きだったため、郡県の人々から憎まれていた。しかし郭太から義について諭されると、ちょうど処罰恐れていたところだったので懺悔感服し叩頭し謝罪した。こうして行い改め自分戒めるようになった。のちに激しい気性が有名となり、三公役所から招かれ侍御史幷州刺史となったが、彼の赴任先ではよく治まった後漢書郭太伝》。

参照郭泰(郭太) / 扶風郡 / 幷州 / 三公 / 侍御史 / 刺史 / 府(役所


宋果Song Guo

ソウカ
ソウクワ

(?~?)

李傕の軍吏。

別項幷州刺史の宋果と同人のようにも思われるが、確証欠けるため別項とした。

李傕長安実権を握ると、楊奉とともに李傕暗殺企てる。しかし計画露見したため、兵たちを率いて李傕叛旗翻した。こうして李傕権勢衰えていったのである董卓伝》。

参照楊奉 / 李傕 / 長安県


宋果

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/05 07:14 UTC 版)

宋 果(そう か、生没年不詳)は、中国後漢時代末期の武将。

事跡

姓名 宋果
時代 後漢時代
生没年 〔不詳〕
職官 軍官
爵位・号等 -
陣営・所属等 李傕

李傕配下の軍官。興平2年(195年)、同僚である楊奉と共に李傕暗殺を謀ったが、事が露顕したため挙兵に追い込まれた。この反乱がきっかけとなり、李傕の勢力は衰退していくことになる。以降、宋果の名は史書に見当たらない。

小説『三国志演義』にも登場する。謀反の原因は、李傕が巫女ばかりを褒賞することへの不満であることに設定され、その際に李傕により処刑されたことになっている。ただし李傕が巫女を重用したのは史実に合致するが、『演義』の内容通りの理由で楊奉・宋果が謀反したかは不明である。

参考文献



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