安西秀幸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/21 13:23 UTC 版)
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選手情報 | ||||
ラテン文字 | Hideyuki ANZAI | |||
国籍 | ![]() |
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競技 | 陸上競技 | |||
種目 | 長距離走 | |||
大学 | 駒澤大学文学部卒業 | |||
生年月日 | 1985年9月18日(39歳) | |||
出身地 | ![]() |
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身長 | 168cm | |||
体重 | 53kg | |||
自己ベスト | ||||
5000m | 13分48秒62 | |||
10000m | 28分38秒99 | |||
ハーフマラソン | 1時間02分33秒 | |||
30km | 1時間30分40秒 | |||
マラソン | 2時間49分53秒 | |||
編集 ![]() |
安西 秀幸(あんざい ひでゆき、1985年9月18日 -)は、元陸上競技の選手でマラソン・中長距離選手。福島県河沼郡河東町(現・福島県会津若松市河東町)出身。福島県立会津高等学校 - 駒澤大学文学部社会福祉学科出身。
来歴・人物
中学時代はサッカー部に在籍していたが会津高等学校時代から陸上を始める。駒澤大学3年時には陸上競技部駅伝主将を、4年時には陸上競技部主将を務めた。第84回箱根駅伝では5区区間2位となる走りで駒澤大学の総合優勝に貢献した。JALグランドサービスの廃部に伴い2010年4月より日清食品グループに移籍。2014年より日清食品グループで現役を続けながら母校駒澤大学でコーチを務めていた[1]。
2015年3月31日付で日清食品グループを退部[2]、現在は家業を継ぐため会津若松市に戻っている[3]。
2017年から全国都道府県対抗男子駅伝福島県チームの監督を務めている[4]。
2021年、鹿児島県指宿市を拠点に活動するクラブチーム「IBUSUKI R.B(イブスキ ランニング ベース)」の監督に就任。
主な戦績
- 2004年 第9回天皇盃全国都道府県対抗男子駅伝競走大会 福島県代表 4区区間6位
- 2006年 出雲駅伝 1区区間賞
- 2006年 全日本大学駅伝 4区区間2位
- 2006年 府中多摩川ハーフマラソン 優勝
- 2007年 関東インカレ(2部) 10000m2位
- 2008年 第84回箱根駅伝 5区区間2位
- 2008年 第49回東日本実業団対抗駅伝競走 1区区間2位
- 2009年 第53回全日本実業団対抗駅伝競走 1区区間4位
- 2009年 第14回全国都道府県対抗男子駅伝競走 千葉県代表 3区区間7位
- 2009年 第50回東日本実業団対抗駅伝競走 1区区間2位
- 2010年 第54回全日本実業団対抗駅伝競走 4区区間21位
- 2010年 第15回全国都道府県対抗男子駅伝競走 千葉県代表 7区区間16位
- 2012年 第56回全日本実業団対抗駅伝競走 7区区間5位
- 2013年 第57回全日本実業団対抗駅伝競走 7区区間4位
大学三大駅伝戦績
学年 | 出雲駅伝 | 全日本大学駅伝 | 箱根駅伝 |
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1年生 (2004年度) |
第16回 ー - ー 出走なし |
第36回 ー - ー 出走なし |
第81回 ー - ー 出走なし |
2年生 (2005年度) |
第17回 ー - ー 出走なし |
第37回 ー - ー 出走なし |
第82回 7区-区間17位 1時間06分31秒 |
3年生 (2006年度) |
第18回 1区-区間賞 23分16秒 区間新記録 |
第38回 4区-区間2位 41分10秒 |
第83回 ー - ー 出走なし |
4年生 (2007年度) |
第19回 6区-区間6位 30分43秒 |
第39回 ー - ー 出走なし |
第84回 5区-区間2位 1時間19分38秒 |
記録
自己ベスト
脚注
- ^ 駅伝王者の座をかけて Number web (2015-01-01). 2015年1月15日閲覧
- ^ お知らせ (2015-03-16). 2015年4月5日閲覧
- ^ 男子10マイル、安西が初V 郡山シティーマラソン 福島民報 (2015-04-30). 2015年5月24日閲覧
- ^ 福島県、連続入賞へ闘志 「都道府県対抗男子駅伝」22日号砲 福島民友 (2017-01-22). 2019年1月19日閲覧
- ^ 東京マラソン2016
外部リンク
- 安西秀幸 - ワールドアスレティックスのプロフィール
固有名詞の分類
- 安西秀幸のページへのリンク