安宅町 (小松市)
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/17 07:31 UTC 版)
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安宅町
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|---|---|
| 北緯36度24分52.13秒 東経136度25分23.53秒 / 北緯36.4144806度 東経136.4232028度 | |
| 国 | |
| 都道府県 | |
| 市町村 | |
| 校下 | 安宅校下 |
| 人口 | |
| • 合計 | 2,672人 |
| 等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
| 郵便番号 |
923-0003[2]
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| 市外局番 | 0767 (七尾MA)[3] |
| ナンバープレート | 石川 |
安宅町(あたかまち)は小松市の町名。本項ではかつて存在した石川県能美郡安宅町についても述べる。
地名は「異国人が来襲した海岸」という意味からなる「寇が浦」(あだがうら)に由来するとされている。
地理
- 現在の小松市の西部で、日本海に面し、梯川の河口周辺に位置。安宅港を中心に発展、当初中心集落は梯川の東岸に位置した。梯川の両岸を住吉橋が連絡している。
- 明治時代末期の町内は、海岸の砂浜と松などの針葉樹林が広範囲を占めていた。現在も松林が多く残る。町の南部には田畑など農耕地も存在した。
- 江戸時代から発展していた海運業が、鉄道の開通などにもよって衰退したこともあり、北前船主であった米谷半平がこの地にて1891年(明治24年)、米谷銀行(後に加能合同銀行)を創立[4]。現在の北國銀行の前身である。また、大正から昭和初期にかけては繊維工業も行われていた。
歴史
| あたかまち 安宅町 |
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|---|---|
| 廃止日 | 1940年12月1日 |
| 廃止理由 | 新設合併 能美郡安宅町・小松町・粟津村・板津村・白江村・苗代村・牧村・御幸村 → 小松市 |
| 現在の自治体 | 小松市 |
| 廃止時点のデータ | |
| 国 | |
| 地方 | 中部地方、北陸地方 |
| 都道府県 | 石川県 |
| 郡 | 能美郡 |
| 市町村コード | なし(導入前に廃止) |
| 総人口 | 1,937人 (1940年) |
| 隣接自治体 | 石川県: 能美郡牧村、根上町 |
| 安宅町役場 | |
| 所在地 | 石川県能美郡安宅町 |
| 座標 | 北緯36度24分56.0秒 東経136度25分17.6秒 / 北緯36.415556度 東経136.421556度 |
| ウィキプロジェクト | |
- 1889年(明治22年) - 町村制の施行により、能美郡安宅町が発足する。
- 1940年(昭和15年)12月1日 - 能美郡小松町、安宅町、粟津村、板津村、白江村、苗代村、牧村及び御幸村が合併して、小松市が発足する。安宅町の区域は小松市安宅町となる。
世帯数と人口
2018年(平成30年)4月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
| 町丁 | 世帯数 | 人口 |
|---|---|---|
| 安宅町第一 | 122世帯 | 314人 |
| 安宅町第二 | 106世帯 | 245人 |
| 安宅町第三 | 218世帯 | 465人 |
| 安宅町第四 | 92世帯 | 236人 |
| 安宅町第五 | 27世帯 | 73人 |
| 安宅町第六 | 165世帯 | 425人 |
| 安宅町第七 | 133世帯 | 319人 |
| 安宅町第八 | 109世帯 | 284人 |
| 安宅町第九 | 120世帯 | 311人 |
| 計 | 1,092世帯 | 2,672人 |
交通
バス路線
- 小松バス
- 安宅線:木曽町、安宅関跡前、安宅、安宅出町、安宅漁港 各停留所
教育
周辺施設
- 安宅の関址
- 安宅海浜公園
- 安宅公園
神社仏閣
- 安宅住吉神社
- 少彦名神社
- 勝楽寺
- 愍念寺
関連項目
脚注
- 安宅町 (小松市)のページへのリンク