安宅住吉神社とは? わかりやすく解説

安宅住吉神社

読み方:アタカスミヨシジンジャ(atakasumiyoshijinja)

別名 安宅の住吉さん

教団 神社本庁

所在 石川県小松市

祭神 表筒男命 ほか

神社名辞典では1989年7月時点の情報を掲載しています。

安宅住吉神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/08 15:10 UTC 版)

安宅住吉神社

拝殿
所在地 石川県小松市安宅町タ17
位置 北緯36度25分09秒 東経136度25分05秒 / 北緯36.41917度 東経136.41806度 / 36.41917; 136.41806
主祭神 住吉三神
例祭 9月7日8日9日
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安宅住吉神社(あたかすみよしじんじゃ)は、石川県小松市安宅町日本海沿岸に鎮座する神社

境内に安宅の関址があり、「安宅」「勧進帳」にも取り上げられた伝承から、難関突破の神として知られる。

安宅関址碑
安宅関跡にある銅像。左から源義経、武蔵坊弁慶、富樫泰家

祭神

主祭神:住吉三神(底筒男命・中筒男命・表筒男命)
相殿神:別雷神少彦名命

境内社

  • 金比羅社
  • 稲荷社
  • 関ノ宮

概説

梯川河口の南岸に位置し、北側には砂浜と日本海が広がる。

奥州平泉へと逃れる途中の源義経武蔵坊弁慶が当地にて関守の富樫泰家に疑われながらも難を逃れたとの伝承から、殊に難関突破に霊験あらたかとされる。

拝殿すぐ前の稲荷社前に、勧進帳を読み上げる弁慶像が置かれている。拝殿脇を降りていくと安宅の関址の碑があり、更に浜手へ下ると弁慶・義経・富樫3人の像がある。近くの勧進帳ものがたり館で休憩できる。

由緒

かつては安宅住吉大明神・二宮住吉大明神・住吉宮とも称した。天応2年(782年)創建の古社で、当初は琴佩山に鎮座していたが、天暦2年(948年)に鷹降山、天正5年(1577年)小倉野へと遷座を重ね、現在の二堂山に落ち着いたのは正保4年(1647年)のことである。海陸ともに北陸道の要所でもあり、永く旅人の崇敬を集めた。

主な祭礼

  • 元旦祭 - 1月1日
  • 紀元祭・大漁祈願祭 - 2月11日
  • 祈年祭・鎮火祭 - 3月10日
  • 大祓式 - 6月30日
  • 例大祭(安宅まつり) - 9月7日~9日
  • 安宅新嘗祭 - 11月30日
  • 大祓祭 - 12月31日

文学

境内には与謝野晶子与謝野鉄幹の歌碑、塩田紅果句碑、森山啓文学碑など、多くの文学史跡が残る。

交通

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