安国寺恵瓊(あんこくじ えけい) ????~1600
○武田氏 竹若丸 一任 正慶
◇父:武田信重
安芸守護武田信重の遺児(といわれる)。武田家滅亡時に逃れ、竺雲恵心の元で僧となる。安芸・安国寺、備前・安国寺の住持となり、後に京・東福寺住持となる。恵心が安芸・毛利氏の外交僧をしていたことから、恵瓊も毛利氏の外交僧となり、主に小早川隆景の元で働いた。羽柴秀吉の攻略を受けた際は、講和をまとめ、以後秀吉の側近ともなる。朝鮮出兵の際には従軍僧として渡海するが、同じ毛利氏臣の吉川広家と意見の齟齬があった。関ヶ原の戦いにおいて西軍として毛利輝元を総大将に担ぎ上げるが、東軍に内通する広家を説得しきれず、結果毛利氏は動かず敗戦する。この責任をとって京・六条河原にて斬首された。その野心家ぶり等から“妖僧”と囁かれる程の者であった。
◇父:武田信重
安芸守護武田信重の遺児(といわれる)。武田家滅亡時に逃れ、竺雲恵心の元で僧となる。安芸・安国寺、備前・安国寺の住持となり、後に京・東福寺住持となる。恵心が安芸・毛利氏の外交僧をしていたことから、恵瓊も毛利氏の外交僧となり、主に小早川隆景の元で働いた。羽柴秀吉の攻略を受けた際は、講和をまとめ、以後秀吉の側近ともなる。朝鮮出兵の際には従軍僧として渡海するが、同じ毛利氏臣の吉川広家と意見の齟齬があった。関ヶ原の戦いにおいて西軍として毛利輝元を総大将に担ぎ上げるが、東軍に内通する広家を説得しきれず、結果毛利氏は動かず敗戦する。この責任をとって京・六条河原にて斬首された。その野心家ぶり等から“妖僧”と囁かれる程の者であった。
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