宇都宮病院の開院
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/10 14:17 UTC 版)
事件の舞台となった報徳会宇都宮病院(以下「宇都宮病院」と略す)は、1961年(昭和36年)、石川文之進(いしかわ ぶんのしん)が開院した。 石川は、1952年(昭和27年)に、石川医院を開院し、1955年(昭和30年)には、医院を発展的に医療法人大恵会石川病院として改組。院長に就任し、1958年(昭和33年)には、分院まで開設した。 石川自身は内科医で、精神科医の経験は無かったものの、東大医学部精神科の研究生となり、当時、東大医学部脳研究施設神経生物部門に所属していた武村信義に指導を担当して貰った。武村は臨床医ではなかったものの、この指導を通じて、石川さらには宇都宮病院との関係ができ、石川にとっては、東大医学部との人脈作りの窓口となった。また、石川は分院との人脈作りも行う。宇都宮病院開院の翌年には、石川は理事長に就任し、1965年(昭和40年)には、精神衛生鑑定医の資格を得た。この年、宇都宮病院に解剖室が新設され、病床数を300床に増床する。 1967年(昭和42年)には、病床数は375床にまで増加するものの、この際、宇都宮病院の精神病患者の獲得方法が問題となり、栃木県精神病院協会幹部が、栃木県に対して宇都宮病院を告発するものの、有耶無耶に終わっている。この頃から、宇都宮病院では、看護長やケースワーカーによる無資格死体解剖が、日常的に行われていた。
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