宇部高等工業学校時代
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「宇部工業専門学校 (旧制)」の記事における「宇部高等工業学校時代」の解説
1938年、文部省は日本全国への高等工業学校の増設を計画した。山口県は山口市を候補地に推したが、山口市は創設費の負担に耐えられないとして辞退した。代わりに、鉱工業の隆盛で財政的に余裕のあった宇部市が候補地として名乗りを上げた。宇部市は土地38000坪・現金40万円の寄附を決め、山口県はこれに地元企業からの75万円・県からの40万円を加えたものを地元負担金として国に寄附申請した。 1939年3月31日: 文部省、新設高工 7校を発表。宇部への設置決定。 1939年5月22日: 文部省直轄諸学校官制改正で宇部高等工業学校設置 (勅令第336号)。翌23日、規則制定。本科 (修業年限3年) に機械科・工作機械科・精密機械科・鉱山機械科・採鉱科を設置。 1939年7月10日: 新入生、仮寮 (理研金属合宿所)に入居。1年生は全寮制、2年生からは下宿可とされた。 1939年11月27日: 校舎第1期工事起工。 1940年4月24日: 常盤台の新校舎に移転。 1940年7月: 寮歌発表。『栄枯は夢か幻か』 (森川晃卿 作詞、大中寅二 作曲) 1941年12月26日: 第1回卒業式。戦時措置による繰上卒業 (1942年から1945年は9月卒業)。 1942年2月2日: 常盤寮第6寮火災。 1942年4月1日: 本科に工業化学科を増設。
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