宇部興産傘下へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 03:11 UTC 版)
1942年(昭和17年)3月、戦時体制の強化を目的とした企業整備の一環として、沖ノ山炭鉱、宇部窒素、宇部セメント、宇部鉄工所の4社が統合して宇部興産が設立された。戦時体制の中、石炭の鉱区の統合も進められており、新生宇部興産には東見初、本山などといった宇部炭田内の炭鉱の合併話が進められていた。 宇部炭田内の炭鉱が宇部興産に合併される話が進められる中で、宇部興産の俵田明社長は東見初、本山といった炭鉱を合併するのならば、大嶺炭田最大の炭鉱である山陽無煙炭鉱もぜひ合併したいと当局に要請した。俵田の要請を受け、山口県出身で当時国務大臣を務めていた岸信介が奔走したと伝えられており、結局1944年(昭和19年)5月、山陽無煙炭鉱は日産コンツェルン傘下から宇部興産株式会社に統合されることになった。
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