姉小路氏の飛騨統一と没落
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 22:09 UTC 版)
「姉小路氏」の記事における「姉小路氏の飛騨統一と没落」の解説
飛騨は領域を接する信濃国北部の川中島四郡において甲斐国の武田信玄と越後国の上杉謙信が川中島の戦いを繰り広げており、また飛騨の南部には尾張国の織田信長が美濃へ本拠を移し、領域を接していた。姉小路氏をはじめ飛騨国衆は特に武田氏・上杉氏の争いと相関し、三木嗣頼・自綱は江馬輝盛とともに上杉方に属するが、永禄7年(1564年)には三木氏・江馬輝盛と敵対する江馬時盛が武田方に属し、同年6月には武田氏の出兵を受け三木氏・江馬輝盛は降伏した。元亀4年/天正元年4月に武田信玄が死後、姉小路氏は信長に従ったため、国内は親上杉派と親織田派の抗争となり、これが姉小路氏の勢力を削ぐ結果となった。 天正10年(1582年)3月には織田・徳川連合軍の武田領侵攻により武田氏が滅亡する。同年6月の本能寺の変で織田信長が横死すると、姉小路頼綱は織田家臣・佐々成政に協力して羽柴秀吉と敵対したため、天正13年(1585年)に秀吉の命を受けた金森長近に攻められて降伏し、国衆としての姉小路氏は勢力を失った。 子孫は三木姓に復し、江戸幕府の旗本として徳川氏に仕えた。
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