姉小路殺害の経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/08 09:46 UTC 版)
5月20日午後10時頃、朝議を終え、宜秋門から退出して帰宅の途に付いた姉小路公知は、禁裏の築地を北周りに通り、朔平門外を越えたあたりで覆面をした刺客3人に襲われ、顔や胸部に重傷を負った。姉小路の従者中條右京は犯人の一人に傷を負わせたものの、彼らは逃亡した。姉小路はただちに自邸に搬送されたが、そこで絶命した。享年25。事件現場には、犯行に使われたとおぼしき「奥和泉守忠重」の銘が入った刀と犯人のものと思われる木履が遺棄されていたという。
※この「姉小路殺害の経緯」の解説は、「朔平門外の変」の解説の一部です。
「姉小路殺害の経緯」を含む「朔平門外の変」の記事については、「朔平門外の変」の概要を参照ください。
- 姉小路殺害の経緯のページへのリンク