姉妹説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 09:17 UTC 版)
「アルマンド・ベジャール」の記事における「姉妹説」の解説
一方でマドレーヌの妹と考える研究者たちは、ベッファラその他によって発見された公式記録の記載を信じるべきだと主張した。しかしこの主張には反論が寄せられた。当時の公式記録は虚偽の申請が可能であるから、結婚契約書以後の書類はそれに準じているのが当然で、意味をなさないというのである。そのため、この説をとる研究者が最重要視したのは、発見された中で最も古い公式記録である、1643年3月10日付で母マリー=エルベが裁判所に提出した「父ジョゼフ・ベジャールの遺産相続権放棄の請願書」であった。父親の遺した借金を子供たちに背負わせないようにするためのものだが、この請願書には「マリー=エルベと故人の間にできた未成年の子供たち、ならびに未洗礼の女子に代わって、マリー=エルベが親戚縁者と協議の結果、遺産相続権の放棄を願い出た」と書かれており、この「未洗礼の女子」をアルマンドであると解釈するのが、この説をとる研究者の考えである その後も研究がすすめられ、新たな新資料も多数発見されたが、それでも決着はつかなかった。アルマンドの洗礼記録が見つかれば直ちに議論は収束するが、現在でも見つかっていない。存在しないのかもしれない。
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