女性芸能者と売春
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/26 07:46 UTC 版)
10世紀に成立した『和名類聚抄』には「白夜遊行するを遊女といい、夜に淫奔(いんぽん)を発するを夜発(やほち)という」と記され、売春をする女性がいたことが分かる。平安時代後期の『遊女記』には遊女は芸を披露した後に性を売っていたとあり、奈良時代の性を売らない芸能人(遊行女婦)から、平安時代になり性を売る芸能人(遊女)に変化したとされる。なお遊女はいわゆる源氏名を名乗っていることも分かる。こうした女性たちには水上交通の要衝にいる遊女の他に、街道を拠点とする傀儡子がいた。いずれも今様を謡い、中には公家や摂関家との接点をもつ女性もいた。後白河院は遊女や傀儡子を召し集めて師弟関係を結んで今様を習得し、特に乙前には手厚い恩恵を与えた。このように高い文化的素養を持つ芸能集団という顔も持ち合わせていた。またこのような芸能集団は母系制であったとされる。また平安時代後期になると白拍子が現れる。後鳥羽上皇は頻繁に白拍子や遊女を集めて宴を行った。院政期から鎌倉初期にかけて女性芸能者は蔑視されておらず、上皇や貴族の子をもうける女性もいた。
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