奪還とその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/29 17:37 UTC 版)
イギリス軍がサウスジョージア島島都であるグリトビゲンを制圧した翌26日早朝には、グリトビゲンより約24km西にあるリース港に陣取っていたアルゼンチン守備隊主力も降伏し、サウスジョージア島での戦闘は終結。イギリス軍はサウスジョージア・サウスサンドウィッチ諸島の奪還に成功した。イギリス軍はサウスジョージア島アルゼンチン軍守備隊とアルゼンチン海軍潜水艦「サンタフェ」の乗組員、合わせて137名を捕虜とし、「サンタフェ」を拿捕した。 この作戦における両軍の戦闘による死者はこの時点でゼロであったが、4月27日に拿捕した潜水艦「サンタフェ」をグリトビケンの港まで曳航する最中に、アルゼンチン海軍水兵の1人がベント操作を行って故意に「サンタフェ」を沈没させようとしたと、同乗していたイギリス海兵隊員に誤解されて射殺された。イギリス軍はこの事態を陳謝。「サンタフェ」艦長はそれを受け入れ、アルゼンチン海軍の栄誉礼の元に葬儀が執り行われた。「サンタフェ」は後に海没処分された。 アルゼンチン軍捕虜はジェネーブ条約に基づいて後に中立国を経由してアルゼンチンへ移送された。サウスジョージア島アルゼンチン軍守備隊の指揮官であるアルゼンチン軍大尉のみイギリスへ移送され、尋問(アルゼンチン反体制運動家への非人道的取り調べ行為等)を受けたが6月10日にアルゼンチンへ帰国した。 任務を完了したタスクフォースは哨戒艦「エンデュアランス」と一部の海兵隊員を守備隊として残し、フォークランド諸島奪還の為にイギリス海軍機動艦隊主力に合流し、フォークランド紛争終結まで尽力した。
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