失脚・バアスの政権掌握
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 09:43 UTC 版)
「アブドルカリーム・カーシム」の記事における「失脚・バアスの政権掌握」の解説
外交的にもイラク石油会社利権区域の90%の国有化措置やOPEC設立会合をバグダッドで開くなど先鋭的な路線を打ち出し、1961年に独立したばかりのクウェートに対する領有権主張は同年7月のイギリス軍の再駐留と同年8月のサウジアラビア、ヨルダン、スーダン、エジプトからなるアラブ連盟平和維持部隊の展開を引き起こした。このことは西側諸国のみならず、イラクの台頭を快く思わないアラブ諸国とも対立を深めた。ついに1963年2月8日、アフマド・ハサン・アル=バクル准将率いるバアス党将校とナセリストがクーデターにより政権を掌握した(ラマダーン革命)。カーシムは2日間に亘り抵抗したものの、翌9日に降伏し、即決裁判により処刑された。
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