大関の沿革・横綱との関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/28 03:54 UTC 版)
「雪見山堅太夫」の記事における「大関の沿革・横綱との関係」の解説
大関の歴史は横綱のそれよりも遥かに古く、少なくても江戸時代よりも前から既に存在していたことは確かである。平安時代の相撲節会の時代には、最高位の力士には最手(ほて)という称号が与えられており、それが起源であると云われる。 現在、財団法人日本相撲協会が認定している初代横綱の明石志賀之助が日下開山の称号を受けたのは、徳川家光の時代ということになっている。 その時代にはまだ横綱が番付としては存在せず、「日下開山」という名称が最強力士の呼び名であった。 記録の残る正式な横綱免許を受けたのは江戸時代中期の第4代横綱の谷風梶之助と第5代横綱の小野川喜三郎の二人で吉田司家より正式に横綱免許を受けている。このとき、前例を重んじる江戸幕府の慣例によって、横綱免許が史上初でないことを示すために、現在、第2代横綱に認定されている綾川五郎次と、第3代横綱に認定されている丸山権太左衛門の名前が記述されたと考えられている。
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