大西祥平
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/23 04:54 UTC 版)
大西 祥平(おおにし しょうへい、1952年9月17日 - 2010年3月18日)は、日本の医学者、医師。慶應義塾大学大学院健康マネジメント研究科元教授、同大学スポーツ医学研究センター元所長。専門はスポーツ医学、循環器内科、運動生理学。博士(医学)(慶應義塾大学、1993年)。
略歴
- 臨床データ解析のためにDEC製ミニコンとFORTRANプログラミングを用いて、心臓カテーテル検査のデータベース構築を実践した[1]。
- 1994年から2000年まで慶應義塾大学スポーツ医学研究センター専任講師を務め、その後スポーツ医学研究センター助教授、1999年から2001年に副所長を兼任し、同センター教授として所属した[2]。
- 2006年トリノオリンピック日本代表選手団のメディカルスタッフ(専任スポーツドクター)を務めた[3]。
- 2010年3月18日午後4時21分、兵庫県姫路市内の病院で死去(享年57)。訃報は翌19日に日本相撲協会より発表された[4]。
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日本アンチ・ドーピング機構専門委員としての功績
- 日本アンチ・ドーピング機構の専門委員及び日本相撲協会のアンチ・ドーピング委員を務めており、日本相撲協会が2008年9月に実施した薬物検査において現役力士2名から大麻の陽性反応があり、その後両力士が吸引の事実を否定している問題では、スポーツ医学・ドーピング検査の専門家(医学者)の立場から、「明らかに自身が吸ったと判断せざるを得ない」との見解を示したが、その頃から原因不明の体調不良に襲われた模様。2009年頃からは体調不良で講義を休むことが目立っていた。[5]
脚注
- ^ “おかしらとパソコン、初めての出会い|大西祥平(健康マネジメント研究科委員長)”. 慶應義塾大学SFC研究所 (2007年1月11日). 2025年7月20日閲覧。
- ^ “大西祥平 ‐ マイポータル|researchmap”. JST researchmap (2022年9月14日). 2025年7月20日閲覧。
- ^ “本部 日本代表選手団|トリノ2006|JOC”. 日本オリンピック委員会. 2025年7月20日閲覧。
- ^ “大西祥平氏が死去/角界の薬物問題対策に尽力”. 四国新聞社 (2010年3月19日). 2025年7月20日閲覧。
- ^ 「国技大乱:/上 北の湖理事長辞任 科学に屈した強弁」-(毎日新聞、2008年9月9日朝刊)
固有名詞の分類
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