大行政区制に含まれない地域
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/19 02:58 UTC 版)
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内蒙古自治区 民族区域自治制度のもと区域民族自治を敷いた内蒙古地域は大行政区制から除かれた。また当時の内蒙古自治区は現在の区域よりもだいぶ狭く、現在の自治区のウランチャブ市から西は管轄域ではなかった。 西康省西部 1949年10月の中華人民共和国建国時、西康省西部(金沙江から西)はガンデンポタン政権の施政下にあり、中国国民党政権は元より中国共産党政権も統治の及ばない地であった。 西康省西部については、1950年10月、中国人民解放軍が侵攻・制圧して中国共産党政府の支配域となった。1951年1月、中国共産党政府は西康省西部を西康省から分離し、「西蔵地方(ガンデンポタン政権施政下の西蔵地域ではない)」という新たな行政区域を作り、そこにチャムド地区として編入させた。 西蔵地方 1949年10月の中華人民共和国建国時、西蔵地域はガンデンポタン政府の施政下にあり、中国国民党政権は元より中国共産党政権も統治の及ばない地であった。 西蔵地域については、中国共産党政府は北京に訪れたガンデンポタン政府代表に軍事的恐喝をして1951年5月に「十七か条協定」を結ばせた。同年10月に人民解放軍は西蔵地域のラサに進駐し軍事圧力下でダライ・ラマ14世に同協定を承認させた。 これによりガンデンポタン政府の西蔵地域は中華人民共和国に併合されることとなり主権国家としての地位を失った。しかしガンデンポタン政府は、既に共産党政府よって新たに作られていた行政区域「西蔵地方」の地方政府としての地位を許され、西蔵地方政府となった。この地位はチベット動乱による1959年のガンデンポタン政府のインドへの亡命まで続いた。
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