大良河原での戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 09:32 UTC 版)
長良川での勝利で士気の上がった義龍軍は、首実検を終えたあと大良口の信長の陣所にも兵を差し向けた。両軍は大良の河原で激突し、信長側は山口取手介と土方彦三郎(雄久の父)が討ち死にし、森可成は義龍軍の千石又一と渡り合い馬上で膝を斬られて退いた。彼らの犠牲は撤退の時間稼ぎに役立った。 この状況の中で信長に道三討ち死にの報が伝わっていたので信長はまず雑人・牛馬を後方に下げると「殿(しんがり)は信長が引き受ける」と言い、全ての兵を川を渡って退かせ、信長自身は舟一艘で川に残った。義龍軍の騎馬がいくらか川端まで駆けて来ると、信長は鉄砲を撃った。騎馬武者は渡河を断念し、信長は退却することができた。
※この「大良河原での戦い」の解説は、「長良川の戦い」の解説の一部です。
「大良河原での戦い」を含む「長良川の戦い」の記事については、「長良川の戦い」の概要を参照ください。
- 大良河原での戦いのページへのリンク