大永の内訌
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/02/23 01:49 UTC 版)
詳細は「大永の内訌 (下野宇都宮氏)」を参照 宇都宮忠綱及び壬生氏、永山忠好らを中心とする忠綱派と、芳賀氏、笠間氏、塩谷氏らを中心とする忠綱による家中支配の強化に不満を持った宇都宮家中の一部が忠綱と対立。芳賀高経らは結城氏の結城政朝と内通し、忠綱と対立した宇都宮家中は、初代古河公方足利成氏の孫娘である上杉顕実の娘を母とする成綱の弟である芳賀興綱を擁立した。笠間氏が芳賀高経に加担している文書が発見されており、さらに内訌の結果から反忠綱派に属した一族・家臣は相当の数にだったといわれており、大永の内訌は従来の説である宇都宮氏対芳賀氏・結城氏という単純な構図ではなかったということが判明した。
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