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大塚堅之助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/14 07:04 UTC 版)

大塚 堅之助(おおつか けんのすけ、1882年明治15年)7月2日[1] - 1962年昭和37年)11月22日[1])は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将

経歴

愛知県出身[1][2]1902年(明治35年)11月、陸軍士官学校(14期)を卒業し[1]、翌年6月、歩兵少尉に任官[3]1913年(大正2年)11月、陸軍大学校(25期)を卒業し[1][2]陸軍歩兵学校に配属された[4]

1924年(大正13年)8月、歩兵大佐に昇進し、陸軍戸山学校教官となり、さらに同校教育部長を務める[2]1926年(大正15年)7月、歩兵第33連隊長に就任。1928年(昭和3年)3月、第1師団参謀長に転じた[2]

1930年(昭和5年)3月、陸軍少将に進級し歩兵第16旅団長に就任[2]1931年(昭和6年)3月、近衛歩兵第1旅団長に転じた[1][2]第16師団司令部付を経て、1933年(昭和8年)3月、台湾軍参謀長となる[1][2]

1934年(昭和9年)1月、第7師団留守司令官に就任し、同年3月、陸軍中将に進んだ[1][2]1935年(昭和10年)3月に待命、そして予備役編入となった[1][2]

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[5]

栄典

位階
勲章

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i 『日本陸軍将官辞典』154頁。
  2. ^ a b c d e f g h i 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』186頁。
  3. ^ 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』183、186頁。
  4. ^ 『日本陸海軍総合事典』第2版、561頁。
  5. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」123頁。
  6. ^ 『官報』第2164号「叙任及辞令」1934年3月22日。
  7. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。

参考文献

  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。



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