大加羅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 10:29 UTC 版)
金官国もまた大加羅(大駕洛)と称されていたように、大加羅の表現そのものは固有名詞ではなく、加羅諸国の中での特に有力なものへの尊称であったと見られている。金官国に代わって台頭してきた伴跛(慶尚北道高霊郡)が、一般的には大加羅を指すものと考えられている。『新増東国輿地勝覧』に引く『釈利貞伝』には、高霊郡の背後にある伽倻山の神である正見母主と天神『夷毗訶之』とから生まれた兄『伊珍阿豉』(悩窒朱日ㆍ内珍朱智)が大加羅の始祖、弟『悩窒青裔』(首露王)が金官国の始祖であるとしており、新興の大加羅がそれまでの盟主であった金官国を越えようとする意識が反映されてできた伝承だと考えられている。 田中俊明は、『南斉書』に見える加羅国王荷知は高霊の加羅王嘉悉王に当たると主張している。 「朝鮮の君主一覧#大加耶(高霊伽耶)」も参照
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