大上司とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 大上司の意味・解説 

大上司

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/01 09:59 UTC 版)

大上 司
おおかみ つかさ
「大上司追悼集」より
生年月日 1914年10月2日
出生地 兵庫県赤穂郡上郡町
没年月日 1993年5月
出身校 兵庫県上郡農学校
関西大学経済学部
立命館大学法経学部経済学科卒
所属政党日本民主党→)
(無所属/民主クラブ→)
民主自由党→)
自由党→)
自由民主党
親族 孫・池畑浩太朗
(衆議院議員・兵庫県議会議員2期)

選挙区 兵庫県第4区
当選回数 5回
在任期間 1947年4月 - 1963年11月
テンプレートを表示

大上 司(おおかみ つかさ、1914年10月2日 - 1993年5月)は、日本の政治家衆議院議員(5期)。兵庫県上郡町出身。

来歴

1932年兵庫県上郡農学校(現・兵庫県立上郡高等学校)卒業、1935年関西大学経済学部卒業、1942年立命館大学法経学部経済学科卒業。

1937年に大蔵省官吏(阪神地区税務署近畿財務局)となった後、1941年産経新聞社入社。内外財務研究所理事長などを経て、1947年第23回衆議院議員総選挙にて、民主党公認で兵庫県第4区姫路市相生市飾磨郡神崎郡揖保郡赤穂郡佐用郡宍粟郡)より出馬し初当選。

以後、民主自由党自由党自由民主党と変遷し、通算当選5回。 その間、1958年第28回衆議院議員総選挙では当選したものの、公職選挙法違反を問われた。

1960年第29回衆議院議員総選挙では再選し、1961年第2次池田内閣第1次改造内閣自治政務次官を務めた。

1963年第30回衆議院議員総選挙では落選した上、ふたたび公職選挙法違反を問われた。

1967年に行われた第31回衆議院議員総選挙にも出馬したものの、自民党の公認が得られなかったこともあり、落選。その後は政界から引退して、大阪市を拠点に経営コンサルタント業を行った[1]

議員時代は「宏池会」所属。当選同期に田中角栄・鈴木善幸・中曽根康弘・増田甲子七・中山マサ・松野頼三・倉石忠雄・石田博英・原田憲・園田直・櫻内義雄・根本龍太郎・佐々木秀世・中村寅太など。

親族

孫に衆議院議員・元兵庫県議会議員の池畑浩太朗がいる。

座右の銘

「以和為貴」(和を以て貴しと為す) -論語より-[要出典]

脚注

  1. ^ 大上元政務次官 三十八年に落選『朝日新聞』1976年(昭和51年)10月10日朝刊、13版、23面
議会
先代
尾関義一
衆議院郵政委員長
1952年 - 1953年
次代
田中織之進



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「大上司」の関連用語

大上司のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



大上司のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの大上司 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS