三木喜夫とは? わかりやすく解説

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三木喜夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/30 09:57 UTC 版)

三木 喜夫(みき よしお、1909年明治42年)8月24日[1] - 1975年昭和50年)5月12日[2][3])は、昭和期の教育者労働運動家、政治家衆議院議員。兄は機械工学者の三木鉄夫[4]

経歴

兵庫県姫路市出身[1]。1928年(昭和3年)兵庫県姫路師範学校を卒業した[2][3]

兵庫県内の公立学校の訓導、姫路市立余部小学校長、管理主事、姫路市立粟生小学校長などを歴任[3]。その後、兵庫県教職員組合中央執行委員長、兵庫県官公労議長、兵庫県学校生活協同組合理事長、兵庫県教職員組合協議会会長、日本ユネスコ国内委員会委員などを務めた[2][3]

1960年(昭和35年)11月の第29回衆議院議員総選挙兵庫県第4区から日本社会党公認で出馬して初当選[2][3][5]。以後、1969年(昭和44年)12月の第32回総選挙まで再選され[6]、衆議院議員に連続4期在任した[2][3]。この間、社会党本部会計監査、同遊説部長、同院内役員、同科学技術副委員長、同国会対策副委員長、同電通合理化対策特別副委員長、同中央執行委員(企画室担当)、同兵庫県本部委員長などを務めた[2][3]。その後、第33回総選挙に立候補したが次点で落選した[7]

のち、関西国民教育研究所長に就任した[3]

脚注

  1. ^ a b 『東京紳士録 昭和43年版』東京探偵社、1967年、p.25。
  2. ^ a b c d e f 『新訂 政治家人名事典』590頁。
  3. ^ a b c d e f g h 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』616頁。
  4. ^ 『人事興信録 第25版 下』人事興信所、1969年、み20頁。
  5. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』271頁。
  6. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』272頁。
  7. ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』273頁。

参考文献

  • 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。



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