大コロンビアの成立
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シモン・ボリーバルがヌエバグラナダとベネズエラの統一を提唱したのが、大コロンビアの起源である。そのときまでベネズエラとヌエバグラナダは別個に独立を宣言し、スペイン本国と戦っていた。ボリバルは、個々に戦っていてはスペイン軍に対抗できないと主張した。ボリバルはこの構想にしたがって戦い、1819年にアンゴストゥーラ議会(スペイン語版、英語版)(現在のシウダー・ボリーバル)でコロンビア共和国を建国し、仮の首都を置いた。 1820年5月、ククタの議会(スペイン語版、英語版)が開催され、フランシスコ・デ・パウラ・サンタンデルやシモン・ボリバルが憲法制定について話し合い、8月30日にグラン・コロンビア共和国憲法が成立した。 1821年ヌエバグラナダが解放されると、首都をサンタフェ・デ・ボゴタに遷した。当初、コロンビアはボゴタとカラカスの中間にあるどこかに首都を置く計画を持っていたが、実現しなかった。その後グアヤキルを解放し、コロンビアは1822年にキトを解放して領土に組み入れた。さらにペルーに援軍を派遣し、ペルーとアルト・ペルー(ボリビア)の解放で決定的な役割を果たした。
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