大コロンビアの分裂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/21 21:12 UTC 版)
ボリバルは強権を発動して分離傾向を抑えようとしたが、1830年にホセ・アントニオ・パエスがベネズエラ分離に踏み切ると、事態の収拾は困難になった。アントニオ・ホセ・デ・スクレは、分離を押しとどめようと交渉に赴いたが失敗し、同年中に暗殺された。自らの無力を悟った「解放者」は病気で引退し、やはり年内に死んだ。 こうして大コロンビアを維持しようとする有力指導者はいなくなり、ベネズエラとエクアドルは分離した。1831年にボリーバル派のラファエル・ウルダネータ政権が崩壊すると、残存部もコロンビアから分離独立して、ヌエバ・グラナダ共和国として再編成した。
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