大アメリカ砂漠
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/15 14:26 UTC 版)
「オレゴン・トレイル」の記事における「大アメリカ砂漠」の解説
しかし、西部の開拓は直ぐには始まらなかった。1806年のゼブロン・パイク中尉や1819年のスティーブン・ロング少佐による遠征隊の報告書では、グレートプレーンズ(大平原)を「人間が住むには適していない」とし、「大アメリカ砂漠」とも表現していた。この記述は主に木材や地表水が比較的見られなかったことに基づいていた。砂の多い荒地のイメージが「砂漠」という言葉で増幅され、バッファローの大きな群れに関する多くの報告書では和らげられた。オガララ帯水層が発見されて灌漑に使われ、鉄道が遠隔地の市場まで農業生産物を運び、木材を運んで来るようになって初めて開拓が進み始めた。この間、グレートプレーンズは大方の開拓者達の興味を惹かないままであり、特にオレゴンの肥沃な台地、大きな川および海港と比較したときはそうだった。 オレゴン・トレイルの経路は1823年には既にフランス系カナダ人の毛皮交易業者や探検家によって調査が進み始めた。この道は1830年代には毛皮交易業者、伝道者、軍隊の遠征軍などに頻繁に使われるようになった。それと同時に個人の小さな集団や時には家族が道を辿り始め、ワシントン州のバンクーバー砦まで辿り着いた者もいた。
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