夜間奇襲攻撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/18 13:43 UTC 版)
「ポークチョップヒルの戦い」の記事における「夜間奇襲攻撃」の解説
1953年7月6日の夜、中国軍は前回の攻撃とほぼ同じ戦術で再びポークチョップヒルを攻撃してきた。このとき、丘は第17歩兵連隊A中隊が布陣しており、中隊長は参謀のアルトン・マッケルフィッシュ・Jr.が代行していた。予備部隊として同連隊のB中隊が隣接する200高地に待機していたため、すぐに応援に駆けつけた。しかし、1時間も経たないうちにA中隊は、塹壕内での白兵戦に巻き込まれていた。戦闘は混戦状態となり、司令部は3個目の中隊を応援として送り込んだ。天候は、この戦闘が始まったころから、3日間を通して台風の影響による雨が降り続き、両軍ともに補給や負傷者の後送に支障が生じた。米軍側は、装甲兵員輸送車の大量投入で、この問題を解決しようとした。 2日目の夜、中国軍は新たな攻勢を行った。この攻撃に対処するため、米第7師団は再び増援部隊を送り込んだ。4個中隊により防御されているポークチョップヒルには両軍の砲弾が降り注いだ。7月8日の夜明け頃、それまでの降雨が一時的に止み、最初から防衛に当たっていた部隊が丘から撤退したが、第17連隊第2大隊から新たに増援部隊により、再度攻撃が仕掛けられ、丘の支配権を獲得すると同時に、夜に向けて防衛態勢を敷いた。
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