多作家ゼヒター
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/06/11 21:06 UTC 版)
「ジーモン・ゼヒター」の記事における「多作家ゼヒター」の解説
作曲家としては、1849年から1867年にかけて約6000曲のフーガを書いたほか(彼は毎日最低1曲のフーガを書くよう努めていたという)、ミサ曲やオラトリオ、また5曲のオペラも手がけ、全部で約8000曲の曲を作った(Wikipediaドイツ語版による)。単純に作曲数だけを見れば、史上最も多作であったクラシック音楽の作曲家として有名なゲオルク・フィリップ・テレマンよりも多いため、これをもってゼヒターこそが史上最も多作な作曲家ではないかとする意見もある。 ただし、ゼヒターの曲は大半が単一楽章で規模の小さい独奏用の鍵盤音楽である。現在知られているテレマンの曲は4000曲に満たないものの、テレマンの曲の多くは複数の楽章から構成される規模の大きい管弦楽曲であり、現存する楽譜の枚数はテレマンの方が圧倒的に多い。また、テレマンは既に楽譜の失われている曲や未発見の曲も多いと見られ、その点を考慮すればテレマンの実際の作曲数はさらに多いと考えられている。これらの理由により、現実にはゼヒターが「史上最も多作な作曲家」と見なされることはほとんどない。 彼はアントン・ディアベリの主題による変奏曲集のために変奏曲も作曲している。
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