壱岐丸対馬丸建造の経緯とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 壱岐丸対馬丸建造の経緯の意味・解説 

壱岐丸・対馬丸建造の経緯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/16 16:09 UTC 版)

対馬丸 (連絡船・初代)」の記事における「壱岐丸・対馬丸建造の経緯」の解説

1901年明治34年5月27日山陽鉄道 馬関 - 神戸全通と、日露戦争中、1905年明治38年1月朝鮮半島での京釜鉄道 京城 - 釜山全通を受け、山陽鉄道日露戦争後日本大陸進出見込み、両鉄道連絡運輸のため、下関から釜山に至る122海里226キロ)の関釜連絡船航路開設計画し傍系山陽汽船が、同航路用の壱岐丸型1,680総トン海峡渡船2隻を長崎三菱合資会社三菱造船所建造した。その第1船 壱岐丸初代)日露戦争終結直後1905年明治38年9月11日関釜航路開設初便として就航し同年11月1日には第2船 対馬丸初代)就航し毎日運航となった。両港間の運航釜山行・下関行とも所要時間11時間30分の夜航便で、東京 - 京城間は60時間結ばれた

※この「壱岐丸・対馬丸建造の経緯」の解説は、「対馬丸 (連絡船・初代)」の解説の一部です。
「壱岐丸・対馬丸建造の経緯」を含む「対馬丸 (連絡船・初代)」の記事については、「対馬丸 (連絡船・初代)」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「壱岐丸対馬丸建造の経緯」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「壱岐丸対馬丸建造の経緯」の関連用語

壱岐丸対馬丸建造の経緯のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



壱岐丸対馬丸建造の経緯のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの対馬丸 (連絡船・初代) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS