声と攻撃スタイル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/28 01:26 UTC 版)
1966年(昭和41年)には扁桃腺の手術を受けたが翌日から稽古を再開し、このとき執拗な喉輪攻めを受けたために声帯を痛め、独特のかすれ声になった(医師からは、手術をすれば元の声に戻ると言われたが、長い期間リハビリを行わなければならないため、今の所手術は受けていない)。元々は美声で知られ、歌も上手かったという。幕内昇進後に高見山はハワイに帰省したが、現地の空港で声も耳も潰れた高見山を見たハワイの人々は愕然としたといい、そのこともあってハワイからは新弟子が期待できなかったという パンアメリカン航空から送られた化粧廻しに掲げられた「Go for broke」(当たって砕けろ。元々はハワイ出身者も数多く在籍した第2次世界大戦時の米軍日系人部隊のスローガン)のとおり、ぶちかまして一気に前に出る破壊力抜群の取り口で知られた。「見る、立つ、出る。大丈夫ネ!」を口癖にするほど、立合いから相手をよく見て立つことを心がけた。これは師匠・高砂親方の方針も大きいと言われ、入門時から常に「ジェシー、プッシュ、プッシュ(組まずに押せ)」と指導していた。
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